3つの秘策・・・
「心」で触れる
歌うように触れよう・・・
私自身の、その探求の始まりは、 10代の時に始まった母親の看病がきっかけでした。 10年続き、20代の半ばになった私は とうとう耐えきれず、家出をするのです。
その結果、 地球の裏側のエサレン研究所にたどり着き、 そこで出会った触れ方にこの触れ方だ!と直感したのでした。 米国に住むこと5年ののち、
日本に戻って間も無く、私は様々に 葛藤を繰り返した母を失いました。 私が日本に戻った一番の大きな理由は この触れ方で母に触れてあげたい 今ならそれができる、 と心の底から思うことができたからでした。 そして、それはギリギリ間に合った、のです。
触れられたいという欲求は 人間として根元的なものだと思います。 それを満たすような触れ方をしていく というのが、ゆったりセラピーのミッションです。
さて、受講生のみんなの施術を受ける機会が あって嬉しい限りの鎌田でありますが、 みんな真面目だなー、真面目すぎるな と思うのでした。 そして、こんなふうに フィードバックしたのです。
ーー もっと、なんていうか歌うように 触れてほしいな・・・ ーー なんていうのかな、音符通りに 正確に歌われた歌は、退屈なものです。 面白くない。 聞いている人を飽きさせてしまう。 上手だね、でおしまいです。
心に触れない、のです。 セッションもそれと同じです。 習った通り、正確に、間違わないように あるいは、ここをなんとかしてやろう とだけ思ってやっていると どうしてもつながりや リズムや 流れるような 歌うような エネルギーを失っていくものです。 たとえ、ロングストロークを行なっているとしても。 あなたの心が、カラダが、 触れることで”歌”を奏で始める その瞬間、きっかけはどこにあるのだろう。
触れられたい、は人間の根源的な欲求
心で触れるボディワーク(エサレンアプローチの全身オイルトリートメント)は、
触れられたいという、人間の根源的な欲求を満たす触れ方を探求していきます。
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ゆったりセラピー・和のカラダレッスン
「穀物」を食べる
何を食べるか、それが問題だ!?
子供の頃、食卓のちゃぶ台には、まずご飯。
麦飯だった。
そして、味噌汁。
漬物が必ず並んでいた。
あとは、おひたしか、野菜の煮物くらい。せいぜい納豆とか。
焼き魚がつけば、それはご馳走で、肉なんて超ご馳走。
月に一回、あるかないか、
肉屋に走らされて豚のバラ肉を200グラム買ってきた。
それは家族5人分のカレーになった。
肉の切れ端を自分のお皿に見つけると嬉しかった。
切れ端が思うように発見できなくても、
カレーをかけたご飯をたらふく食べて幸せだった。
いつの頃からだろう。
ご飯だけじゃ、ちゃんと栄養が取れない。
肉や魚の動物性たんぱく質を十分取らないと。
それに、ご飯は太る
なんてことになり
漬物は、塩分取りすぎ
なんてことになり
気づくと
様々な栄養サプリメントやら、糖質制限やら
グルテンフリーやら
ローフードやらマクロビオティック(玄米正食)やら
食情報は巷に溢れかえっているものの
何を食べたらいいのか分からなくなっていた。
加えて、 食品添加物や農薬
放射能汚染、環境ホルモン、、、
普通に手に入る食べ物で、安心して食べられるものは果たしてあるのだろうか。
という状況になっていた。
カラダは、いつも冷えていて
ともすると浮腫んでいて
だるく、疲れて、緊張して固まっている。
何を食べればいいんだろう?
日本の伝統食から学ぶ
未来食つぶつぶに出会い、
それを実践し始めたら、
本当に安心した。
おばあちゃんが作ってくれた、あのご飯でよかったんだ。
ご飯をいっぱい食べていいんだ!ってね。
ちゃんと発酵させた昔ながらの味噌、醤油
そして海の塩
植物性の乳酸菌の宝庫、漬物
精白しすぎない穀物を中心とした食事
卵や乳製品、肉魚のない食事
砂糖は取らない
これらは全て、伝統的な日本の食事だった。
長い時間をかけて選択されてきた
風土に見合った食べものを食べる
カラダは芯から
ポカポカ暖かく、軽く
心は穏やかで
希望に溢れてリラックスしている
カラダは、食べたものでできている
カラダは食べたものでできている
この現実に向き合う時、
私は何を食べたらいいのだろう
そして、この環境汚染時代に
何をどうやって私の食べものとして選択しようか
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「和」をまとう
和をまとうと、動きが変わる。動きが心を作る。
着物を着たのは、成人式の時だけ。
でもサンザンだった。
あんなもん2度と着たくない
と思っているあなたも
着物っていいなー
でも一人じゃ着れないし、
なかなか手が出ないよねって
思ってるあなたも
まずは、ぴったりしたジーンズやらを脱いで
布と肌の間にゆったり、空気が流れるような
”着るもの”に着替えてみよう
まとってみよう
色や形にほんの少し、「和」のテイストを加えてみる
ほら、似合うでしょ?!
ゆったりした動きに変わっていくのがわかるでしょ?
**写真は、大谷ゆみこさん考案の小袖ドレスを着た鎌田です。
和服を脱いだ日本人
私の記憶の中のおばあちゃんは、
手ぬぐいをかぶっており、
半着というのだろうか、”着物のような”上着を着て
割烹着をつけ、
モンペを履いていた。
父方のおばあちゃんも母方のおばあちゃんも
野良稼ぎをする人だった。
そして、どちらもいつもそんな格好をしていたような気がする。
(そして、それらはかつて長いこと麻だったのだ。
そこここに麻畑があり、人々は、いとまを惜しんで糸紡ぎをし
布を織り、衣服を縫った。野良着は全部麻だった、と伯母が証言している。
そして懐かしいのは、裂き織りのどっしりしたこたつ布団だ。
こたつ布団といえば裂き織りだった。)
確かに、おばあちゃんは、夏のアッパッパー以外は着物を着ていた。
入院先でも着物のようなものを着ていたような気がする。
80歳を過ぎてからだったろうか、調子を崩して二週間ほど入院をすることになった。
退院することになり、父と私が迎えに行くと
身支度を整えて病院のベットの上にちょこんと正座をしていた。
着物だったような気がする。
着物には正座が合う。
同室の人によると朝早くから身支度を整えてベットの上に正座して
待っていたという。
いつの頃からか、日常からすっかり着物が消えていた。
着物は、晴れ着となり、特別な装いとなっていた。
ハイカラ好きな母は、出かけるときは
あつらえた洋服をまとい革靴を履きバッグを持ち
スカーフなんぞを胸元に巻いていたが、
夜寝るとなると寝間着というのか着物のようなものを着ていたような気がする。
しかも丹前をかぶっていた。私も丹前というものをかぶらされた。
着物のような形をした綿入れの被り物だ。
実は、新品と思われる数枚の丹前が未だ押入れの中にあることに気づいている。
手縫いだろうと思う。”何かの時のために”祖母か母が用意していたものに違いない。
祖母も母も亡くし、何年も経ったころタンスの中の着物に気づいた。
私は、50を越えていた。
どうしても着てみたくなり、今に至る。
着物道楽は着物沼でもある。
和服を脱いだ日本人は一体どこに行くというのだろうか。
それよりは着物沼で溺れていたい。
和のカラダを探求する
糸をつむぐ、布を織る、着るものを縫う、まとう
ゆったりセラピーを習う→ゆったりセラピー入門講座
ゆったり小袖生活
大谷ゆみこさんの小袖ドレス
アイヌ刺繍
大麻の糸を紡ぐ
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