3つの秘策・・・
「和」をまとう
和をまとうと、動きが変わる。動きが心を作る。
着物を着たのは、成人式の時だけ。
でもサンザンだった。
あんなもん2度と着たくない
と思っているあなたも
着物っていいなー
でも一人じゃ着れないし、
なかなか手が出ないよねって
思ってるあなたも
まずは、ぴったりしたジーンズやらを脱いで
布と肌の間にゆったり、空気が流れるような
”着るもの”に着替えてみよう
まとってみよう
色や形にほんの少し、「和」のテイストを加えてみる
ほら、似合うでしょ?!
ゆったりした動きに変わっていくのがわかるでしょ?
**写真は、大谷ゆみこさん考案の小袖ドレスを着た鎌田です。
和服を脱いだ日本人
私の記憶の中のおばあちゃんは、
手ぬぐいをかぶっており、
半着というのだろうか、”着物のような”上着を着て
割烹着をつけ、
モンペを履いていた。
父方のおばあちゃんも母方のおばあちゃんも
野良稼ぎをする人だった。
そして、どちらもいつもそんな格好をしていたような気がする。
(そして、それらはかつて長いこと麻だったのだ。
そこここに麻畑があり、人々は、いとまを惜しんで糸紡ぎをし
布を織り、衣服を縫った。野良着は全部麻だった、と伯母が証言している。
そして懐かしいのは、裂き織りのどっしりしたこたつ布団だ。
こたつ布団といえば裂き織りだった。)
確かに、おばあちゃんは、夏のアッパッパー以外は着物を着ていた。
入院先でも着物のようなものを着ていたような気がする。
80歳を過ぎてからだったろうか、調子を崩して二週間ほど入院をすることになった。
退院することになり、父と私が迎えに行くと
身支度を整えて病院のベットの上にちょこんと正座をしていた。
着物だったような気がする。
着物には正座が合う。
同室の人によると朝早くから身支度を整えてベットの上に正座して
待っていたという。
いつの頃からか、日常からすっかり着物が消えていた。
着物は、晴れ着となり、特別な装いとなっていた。
ハイカラ好きな母は、出かけるときは
あつらえた洋服をまとい革靴を履きバッグを持ち
スカーフなんぞを胸元に巻いていたが、
夜寝るとなると寝間着というのか着物のようなものを着ていたような気がする。
しかも丹前をかぶっていた。私も丹前というものをかぶらされた。
着物のような形をした綿入れの被り物だ。
実は、新品と思われる数枚の丹前が未だ押入れの中にあることに気づいている。
手縫いだろうと思う。”何かの時のために”祖母か母が用意していたものに違いない。
祖母も母も亡くし、何年も経ったころタンスの中の着物に気づいた。
私は、50を越えていた。
どうしても着てみたくなり、今に至る。
着物道楽は着物沼でもある。
和服を脱いだ日本人は一体どこに行くというのだろうか。
それよりは着物沼で溺れていたい。
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